いつか合気道の道場を設計したい
建築家のブログ

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-2024.6.29-

合氣道 道場を考える

綾部市に合氣道道場をつくる妄想を勝手にしています^^

その為に合氣道道場の在り方を整理しています。

FORMAのHPに来ていただいて家づくりの事を知りたい方にとってここからは??な内容です。

ご容赦ください^^

大まかにはこのような構成で妄想していきたいと思います・

☐合氣道の歴史 開祖である植芝盛平翁の軌跡をたどる

☐合氣道の精神 植芝盛平翁の想いを知る

☐道場の在り方を考える

合氣道の開祖 植芝盛平翁は「おおもと」の出口王仁三郎聖師の教えもあり合氣道と言う武道をつくることが出来たと聴いています。

「おおもと」の武道に対する考え方を出口王仁三郎聖師の文献や書物の中から読むことから始めました。

先ずは歴史から。

大正8年(1919)、植芝盛平翁が大本教の本部(綾部)を訪れ、王仁三郎師に初めて会った時に、「自分にそなわった武術があるのだから、人が作った武術を習ってはいけませんよ」と言われています。

大正9年(1920)には「神人合一の武道を作りなさい」という王仁三郎師の命により、京都府綾部の神苑内に植芝塾【24帖】を開設しています。

神棚と書があります

大正13年に敢行された王仁三郎の入蒙(モンゴル)に同行

大正14年 「武道の根源は、神の愛-万有愛護の精神-である」との悟りを得る

昭和2年 東京移住 島津公邸玉突き場を改装し道場として提供される

    加納治五郎師範の講道館が心利いたものを派遣したいとの意向があった

昭和6年 牛込町若松町に皇武館道場【80帖敷】が完成 

    内弟子が40名 そのほとんどが柔、剣道の高段者

昭和7年 大日本武道宣揚会設立 植芝盛平翁が会長に就任 丹波竹田町に【150帖敷】道場が設けられる

    支部が全国に出来る、本部は常に80名

昭和14年 皇武館道場が財団法人皇武館となる

昭和15年 武徳会に合氣道部が創設され植芝盛平翁の代理として平井稔氏が席をおく

昭和19年 茨城県岩間町 合氣道野外道場 合氣神社造営 道場【40帖】建設

     武農一致を具現化

昭和20年 戦後 財団法人皇武館より財団法人合氣会へ名称変更

     日本国内にのみならず国際的にも進出し広がり始める

     現在では国内 100万人 海外160万人

昭和23年 京都市 個人宅【12帖】 において、おおもと青年部の稽古が始まる

大日本武道宣揚会設立時

古神道を基礎とした信仰団体・大本教(現大本)を率いた出口王仁三郎は、「神より来る武」を説いた。彼が総裁を務めた大日本武道宣揚会は、そうした真正の大日本武道を宣揚するために昭和7年に誕生した。同会の会長に就いたのが合気道開祖・植芝盛平翁です。

以下は同会の趣意書である。

大日本武道宣揚会趣意書

真の武は神より来るものである。武は戈を止めしむる意であつて、破壊殺傷の術は真の武ではない。否斯かる破壊の術を滅ぼして、地上に神の御心を実現する破邪顕正の道こそ真の武である。 神国日本の武道は惟神の道こそ真の武道大道より発して皇道を世界に実行する為に、大和魂を体に描き出したものである。徳川三百年、武士道華かなりし時代は、既に真の武士道は失はれてゐたのであつて、むしろ真の武士道は言挙げせぬ神代に存在して居たのである。 今や天運循還、百度維新、東西古今の文物は翕然として神洲帝国に糾合され、世界人は斉しく神機の大なる発動を待望して居る。而して此の混沌たる世界を救ふの道は唯日本固有の大精神たる皇道を天下に実行するの外無いのである。 吾が大日本武道は神の経綸、皇道の実現のために惟神の人体に表はされたるものであつて、蔵すれば武無きが如く、発すればよく万に当る兵法の極意を尽すものである。 昭和維新の大業は政治経済のみでもゆかず学術のみでもゆかず、又精神のみでも充分ではない。吾々は神より下されたる真正の大日本武道を天下に宣揚して此の大業成就の万分の一の働きを相共にさして頂きたいのである。神より発したものは神に帰る。 真の武は神国を守り、世界を安らけく、人類に平和を齎らすものである。 願はくは此の意を諒せられんことを。(池田昭編『大本史料集成 運動編』三一書房)

「真の武は神より来るものである

この言葉には真理の追究することで平和を齎すという精神性を強く感じます。

実際、植芝盛平翁は道場には神棚を置き、天の鳥船、振り玉の禊を行ってから稽古をしていたようです。

稽古の半分は禊でもよいとの逸話も聴いたりします。

私の通う合氣道吉照塾は亀岡市の大本神苑内にある鳳雛館において稽古前にはご神体へ向かっての礼拝と禊を行います。

これは道場長の七良浴師範が大本から、植芝盛平翁から受け継いだ精神性を重視しているためだと思われます。

実際、稽古前のそのような儀式を行うと心が鎮まり、神聖な道場で錬磨させていただきありがとうございますという気持が湧いてくるのです。

道場においては単に稽古できる場というだけではなく神棚若しくはそれに代わる何かがあり神事の一連の所作があった後に稽古するという事が大切だと思います。

そうすることで植芝盛平翁、出口王仁三郎聖師のつくった合氣道の精神と向き合う事が出来ると考えます。